雨垂れ石を穿つ ~Today's me~

塵も積もれば山となる。要するに、継続は力なのだ。

 

自敬表現をご存じだろうか。読んで字の如く、自分に対して敬語を使うことなのだが、一般人がおいそれと使用してよいものではないらしい。ということで、昨日投稿した記事の一部で、畏れ多いながらも使わせていただいた。いや、「お使いになられた」と書いた方がいいのだろうか。

そんなことは置いておいて、日本語というのは非常にロマンのある言語である。というのも、「私が知っている言語は6つほどしかない」ということと、「学んだことがあるのはうち2つしかない」という2つ前提のうえに成り立っている思考であるため、根拠やエビデンスといったものは皆無なのだが。誤解のないように言っておくと、その2つというのは英語と日本語である。約2年の間フランス語入門が手元にあったが、 "Oui" という単語しか覚えていない。

先に言っておくと、私は日本語至上主義者である。なぜなら日本語以外の言語を使えないからである。

日本の教育システムに欠陥があるのか、もしくは私の脳に欠陥があるのか。この際どちらでもいいのだが(恐らく前者。この国に未来はない)、12年間も英語を学んで、まだ英語を話せない。話せないだけならまだしも、読み書きの能力が著しく欠如している。なぜかなんとなくはわかるが、如何せん語彙が不足していて「marijuanaをsmokeしてtrip」のように、英単語と平仮名が脳内で暴れまわる。読者の中には「単語覚えればいいじゃん」という意見を持つ人がいるかもしれない。しかし、英語に対する苦手意識ばかりが先行してしまい、なかなか手を付けるに至らないのだ。「トマトめちゃくちゃ嫌いだけど、トマトを食べる行為はめちゃくちゃ好き」という人を見たことあるだろうか?それと同じことだ。(ちなみに私はナスが嫌いである。それに付随して、那須という苗字を冠する人間が嫌いだ)

自慢にはなるが、私は3年連続で英語の単位を落としている。Writing&Leadingが主体となる "英語A" と、Speaking&Listeningを主とする "英語B" があり、幸運にも1, 2年時に英語Bを落とすことはなかったのだが、ついに今年度A, B両方落としてしまった。私に英語の才能はないといえる。

 

英語の話をすると虫さんが走るため、ここでやめようと思う。

話は変わるが、鉛筆などを用いて字を書く時と、パソコンなどで文字を入力する時では使う脳が違うことをご存じだろうか。例によって私の記憶の隅っこから引っ張り出してきた話であるため、真偽は定かでない。嘘か真かわからない情報なんか聞くだけ無駄だと思うので、信用できない人は読み飛ばしてもらっても構わない。なんなら私も碌に信じていない。

脳とは不思議なもので、いまだに解明できていないことが多い。まあ解明できていることより解明できてないことの方が多いのだし、その事には触れるべきではないのかもしれない。

私の所属している学科で1番偉い "学科長" という存在があるのだが、その学科長様は脳波を研究している、という情報を耳にし、5年になったら学科長の研究室へ入ろうと思っていた。しかし今のところそこまで行く予定はないため、今となってはどうでもいい話だ。

 

閑話休題

 

昨日の記事に書いていた "座右の銘" について触れて、本日の記事を締めくくろうと思う。

そもそも、「こうでありたい」とか「忘れたくない」という意味や、生き方の指針として心に留めておく言葉であるのだが、私は自由気ままな性格であるので、「座右の銘を決めることで、自らの可能性を自ら狭めるの?」と思うわけである。

指針を決めた時点で、確実に視野は狭まる。革新的な答えというのは、斜め後ろとかにあるものだ。知らんけど。

いつまでも同じ方向ばかり向いていると、大したことをできずに終わってしまう。夏目漱石だったか、作品の中で「賢い人間は自殺する」みたいな事を書いていた覚えがあるが、せっかく生を与えられたのだから、生きた証をこの世に刻みたいではないか。そのためにも、柔軟に生きたいものである。

生きていく中で、失敗することがあるかもしれない。この時期になると特に目立つものだが。かくいう私も失敗したばかり。私の失敗は、他の人の失敗と同列に語っていいものではないと思うが、ご愛嬌ということで。

こんなこと言ったって逃げにしかならないかもしれないが、気にしたって過去には戻れない。上を向いて歩こうだの、前向きに生きようだの言う人もいるが、前や上ばかり向いてたら首が痛くなる。たまには下を向いた方がいい。たまたま悪いタイミングで下を向いただけだと思えばいいのだ。それに「灯台下暗し」ともいうし、意外と足元に欲しいものが転がっているかもしれない。どうせ数年後、数十年後には笑い話になるのだから、失敗なんて心の隅に追いやって、今からまた歩き始めればいい。ちなみに言うと、私が失敗したことは既に笑い話になっている。「笑う門には福来る」だ。

まあ就活以外で座右の銘がどうのこうの言う人をあまり見かけないので、この話に意味はないのかもしれない。

 

どうせ誰も読んでいないだろうし、私の言い逃れをたくさん書かせてもらった。正当化というものだ。普段はこんな真面目な人間ではないし、普段以外も真面目じゃない。真面目だったら留年しないしね。

もう疲れたからやめる!ちょっと早いけどガルパ3周年おめでとう!

あーあ!失敗しない人生を送りたかったな!慶應の幼稚舎に入塾したいナリ!

 

さよなら!!!!!ばいちゃ!