金子みすゞ理論 〜Today's me〜

原始、人間は1つだった。


最近耳にした情報の中に、「なんとか学園が韓国人受験生の面接点を0にした」というものがある。さらに、その受験生は筆記試験満点だったとも。


以前ツイートしたことがあるのだが、この国では浮きこぼれる人が多いと思う。ひょっとしたら世界中であるのかもしれないが、私は日本から出たことがないため、よくわからない。その考え方でいうと、今住んでいる県から出たことがないため、日本規模で語るのは間違っているかもしれない。が、まあこんな狭い島国、都道府県で大きな違いがあるとも思えないし、同列で語ってもいいだろう。

話を戻すと、優秀な人材が肩身の狭い思いをすることが多いように思う。先日書いたように、「みんなやってるからやる」という考えが蔓延るこの国では、"みんなやってること" をやらない人が迫害されたり、逆に、"みんなやらない" ことをやってる人が白い目で見られたりと、少数派が悪であるかのような振る舞いがみられる。

給食を食べていない人が、昼休みや掃除の時間まで給食を食べ続けていたり、誰にでも明るく振る舞う人が陰口を叩かれたりと、年齢問わず人間の醜いところが表れる。私は人間が大好きであるため、そういう人間臭いものが好きで、逆に誰にでも優しい人間が好きではないのだが、それが褒められることかと問われると、そうではないと即答できる。何が正しいかなんて誰にもわからないが、自分でも正しくないと思う。間違えてるとも思わないが。

給食の量なんて、どうせその年齢の子が1日で摂取する量とかなのだろう。そのデータも平均にすぎないのだから、そこそこの差がある。「皆が皆その量食べる」と考える人間が教職に就けると考えると、この国の将来は危ないのではないか。私も6年間小学校に通ったわけで、様々な経験をしたのだが、やはり「給食を食べ切らないと昼休みなし」と教える教師がいた。私は少食であるが、昼休みに遊びたい欲が勝っていたため、昼休みまで縺れるということはなかった。数回しか。食べ切れないと昼休みなし、と教える先生は大抵、減らしてもいいとも言うのだが、逆算できる小学生なんてほとんどいない。あんまり意味ないと思う。

とはいえ、出されたものを完食することはとても大事である。私も親にそう教えられている。大人になり、ファミリーレストランや居酒屋などに行き、料理を頼む。しかし、食べ切れずに残す。対価を支払っている以上、別に悪いことではないが、気持ちのいいことではない。完食するに越した事はないのだ。


優秀な人がどうこう書いている割に、給食を残す人の話ばかりだということに気付いた。しかし、浮きこぼれについては過去にツイートしたことがあるため、ここでも浮きこぼれについての話をすると、同じことを2度話さないという私の美学に反する。

本当は人種や性別に対する差別の話をしようと思っていたが、自由気ままに生きる私にとって、 "予定" というものは水と油のようなものらしい。明日書くとしよう。


そもそも、人間の分際で "差別" なんて賢い思想に手を出すのは間違っているとは思う。蟻さんのようにほんわか生きようではないか。と書こうとしたが、蟻さんほど身分社会に浸っている生き物は珍しいのだった。


どうぶつの森」の世界には、差別や偏見、単位などといった概念は存在しない。そう考えると、今1番人間に必要なものは、コロナウイルスのワクチンではなく、「あつまれ どうぶつの森」なのではないか。

3/20 「あつまれ どうぶつの森」発売。あと8日。


さよならばいばい!


P.S. 体調が悪い。コロナであるかもしれない。