人の気持ちを考えるということ 〜Today's me〜
"箱の中のカブトムシ" という思考実験がある。
数人のグループがあり、その1人1人に "カブトムシが入っている箱" を渡す。それぞれの箱に入っているカブトムシは違う形をしていて、他の人の箱の中を見ることは出来ない。つまり、自分の箱に入っているカブトムシがその人にとってのカブトムシなのだ。
ある人にとっての "カブトムシ" が、他の人にとっての "カブトムシ" であるとは限らない。という話だ。たぶん。
そのグループの中に見栄っ張りな人間がいれば、「俺のカブトムシはすごくデカい。ツノも立派でカッコいい」なんてことを言うかもしれない。しかし、それが嘘かどうかは本人しか知り得ない。実はカブトムシじゃないかもしれないし、実際はめちゃくちゃ小さいかもしれない。でもわからない。その人の箱の中を見ることはできないのだから。
これを人の心に置き換えてみると、なかなか面白い話になる。置き換えなくても面白いが、置き換えた方がより面白くなる。
例えば、これを読んでいる人が友達と2人で道を歩いていたとする。
大型トラックが走ってきて、2人同時に同じように宙を舞った。貴方が痛い思いをしていたとしても、その友達が痛い思いをしているとは限らない。
その友達はめちゃくちゃ演技が上手くて、痛がっているフリをしているだけかもしれない。
その友達が「痛い」と訴えていたとしても、本当は痛い思いなんてしていないのかもしれない。
人の気持ちを理解することは不可能なのだ。
世の中は嘘が溢れている。
テレビなんて全部嘘だし、テレビ以外もほとんど嘘。
嘘じゃないのは自分自身の存在だけだ。そこには確かに "自分" がある。
それ以外の人から見るとそれも嘘なのだが。
さよなら。ばいちゃ。