雑踏を駆け抜けるCOVID-19 〜Today's me〜

愚か者はすぐ否定する。理解が及ばないから否定することしかできないのだ。

知的探究心を持つ人間が羨ましい、と思い始めた。多分今の私に生きる価値はない。そろそろ潮時なのだろうか。
過去を振り返ってみると、いつの時代の私も知的探究心や好奇心に満ち溢れている。しかし、最近の私にはそういった気持ちが見られない。著しく欠如しているのだ。我ながら可哀想だと思う。
生きる意味とは、知識を積み重ねることだ。私はそう思っている。どんな知識でも、知ることに意味を持っていないということはない。
かの有名な大石昌良氏曰く、「君に会って確かめてみたい。世界のことわり、愛の定義、幸せのカテゴリー」とのこと。
まあこれはあまり関係ないのだが。
どんなしょうもないことでも、いつかその知識が役に立つかもしれない。役に立つことが証明できないのと同じように、役に立たないことも証明できないのだ。知識は財産だ。

話を戻すが、今の私には知的探究心がない。
これは恥ずべきことだ。次々と知識を得ようとしない人間に、生きる価値はない。唯一、人間が人間以外の生物に勝るところが頭脳なのだ。その頭脳を有効活用しないのであれば、生物カースト最下位である。ピラミッドを支える立場にならざるを得ない。それは嫌だ。私は頂点に立ちたいのだ。

例のウイルスの影響で、まだまだ休みは続く。さらに延びるとは思うが、休みが続く限り、知識を増やしていこうと思う。

ではさらだば。ばいちゃ。