時を無駄にするということ 〜Today's me〜

自信とは、問題の本質を理解していないときに現れるものだ。



1日を振り返り、振り返るべきものがないことに気付いた。

17時30分くらいに目を覚ましたのだが、それ以前の記憶がない。いつ寝たのかもわからないのだ。そもそも寝ていたのかどうかもわからない。

14時に眠りに就いたと仮定して、それ以前の私は私なのだろうか。今この文を書いている私と同じ私なのだろうか。


自分が自分であるかどうか。自分以外はわかりようがない。

14時に眠りに就くまでの私は、17時30分に目を覚ますまでの私は、ただ意識があるように振る舞っていた限りなくニンゲンに近いロボットだったのかもしれない。

もしくは、意識を持っていない肉の塊だったのかもしれない。


これが哲学的ゾンビというものだろうか。

私は哲学的ゾンビだったというのか。


俄には信じがたいが、18年と数ヶ月の間、私は哲学的ゾンビと呼ばれるものだったということだろう。


いや、「今は哲学的ゾンビではない」という証拠はない。

少なくとも、この記事を読んでいるニンゲンには、私が哲学的ゾンビかどうかは判断できない。

何故ならこれを読んでいるニンゲンは、誰も彼も私ではないからだ。


そもそも、これを読んでいるニンゲン達が哲学的ゾンビではないという証拠があるのだろうか。

一度、考えてみてほしい。


あなたは本当に、自分を持っているだろうか。



P.S. ランダムにタイプライターを叩き続けていたところ、太宰治氏の "羅生門" を打ち出すことに成功した。この調子で無限に叩き続けようと思う。



さよなら。ばいちゃ。