母なる大地 〜Today's me〜
今日は理想的な1日だった。
8時に叩き起こされるも、確固たる意思で9時20 分まで布団に引き篭もる。
布団から這い出てパーソナルコンピュータの電源ボタンを押し、顔を洗い歯を磨く。
ホームルームに顔を出し、先日引っ張り出したミキサーを使ってイチゴ牛乳を作成する。お瀧さんの動画で見たものだ。
薔薇に水をやり、島のみんなに挨拶をする。とめちゃんと顔を合わせるのは3日ぶりだろうか。
課題の締め切りが迫っていることに気付き(天才)、急いで取り掛かる。私は天才であるため、僅か10分で終わってしまった。この調子でいけば単位獲得は余裕だろう。
ベッドに腰掛けネットサーフィン。たくさん有益な情報を得たが、ものの見事に忘れてしまった。今日もまた無駄な時間を過ごした。
命 〜Today's me〜
哀れなり。
小さきことを気にして、自分との違いを恐れる。差別と区別の区別もつかない人間どもよ。
貴様らなんぞ自然の前では無力だ。
先人達が犯した失敗を、何故繰り返すのか。
歴史から何を学んだのか。
今日は真面目に授業を受けた。
私の記憶が正しければ、過去に1度同じ授業を受けたことがある。
80分とその分の授業料をドブに捨てているようなものだ。親には申し訳ないと思っている。いつか親孝行してみたいものだ。
ここ最近、正確無比にいうと先週の水曜日から。母親から「今日ちゃんと授業受けた?」と、毎日のように聞かれるようになった。
信用されていない。些か不満である。
当たり前のことすら当たり前に出来ない人間だと思われているのだろうか。
私の母親は、私の嘘を見破ることができる。伊達に母親をやっていない。
しかし、それも過去の話。
中学校を卒業して以来、私の演技力は上がっている。それもメキメキと。
今や自由に涙を流すことが出来るし、平気な顔で嘘をつくことが出来る。いや、後者については小学生の頃からある程度出来ていたのだが。
嘘をつくのが上手くなった。やはり嘘をつけばつくほど、嘘をつくのが上手くなるのだろう。
閑話休題。
ゴミを見るような視線を突き刺しながら問いかける母に、私はいつもこう返す。
「当たり前でしょ。ちゃんと受けてるよ」
欺瞞でコーディングされた私の返答に、母は答える。
「ふーん。信じちゃん」
バレているかどうかは母のみぞ知る。
さよなら。ばいちゃ。
時を無駄にするということ 〜Today's me〜
自信とは、問題の本質を理解していないときに現れるものだ。
1日を振り返り、振り返るべきものがないことに気付いた。
17時30分くらいに目を覚ましたのだが、それ以前の記憶がない。いつ寝たのかもわからないのだ。そもそも寝ていたのかどうかもわからない。
14時に眠りに就いたと仮定して、それ以前の私は私なのだろうか。今この文を書いている私と同じ私なのだろうか。
自分が自分であるかどうか。自分以外はわかりようがない。
14時に眠りに就くまでの私は、17時30分に目を覚ますまでの私は、ただ意識があるように振る舞っていた限りなくニンゲンに近いロボットだったのかもしれない。
もしくは、意識を持っていない肉の塊だったのかもしれない。
これが哲学的ゾンビというものだろうか。
私は哲学的ゾンビだったというのか。
俄には信じがたいが、18年と数ヶ月の間、私は哲学的ゾンビと呼ばれるものだったということだろう。
いや、「今は哲学的ゾンビではない」という証拠はない。
少なくとも、この記事を読んでいるニンゲンには、私が哲学的ゾンビかどうかは判断できない。
何故ならこれを読んでいるニンゲンは、誰も彼も私ではないからだ。
そもそも、これを読んでいるニンゲン達が哲学的ゾンビではないという証拠があるのだろうか。
一度、考えてみてほしい。
あなたは本当に、自分を持っているだろうか。
P.S. ランダムにタイプライターを叩き続けていたところ、太宰治氏の "羅生門" を打ち出すことに成功した。この調子で無限に叩き続けようと思う。
さよなら。ばいちゃ。
蹲り悲しみに暮れる 〜Today's me〜
To succeed in the world, one should appear like a fool but be wise.
価値観というものは、決して混ざり合うことがない。
私の "かっこいい" は誰かの "ダサい" で、私の "ダサい" が誰かの "かっこいい" である。
例えば、私はキノコヘアーをダサいと思うが、キラキラした男の子達はみんなキノコヘアーをかっこいいと思っている。
例えば、私はゴー☆ジャス氏とコウメ太夫氏を面白いと思っているが、世間的にはそうではないらしい。
ニンゲン1人、思想1つ。これが当たり前なのだ。
しかし、ネットの海に生息しているニンゲンは、こんな当たり前のことすらも理解していないらしい。
相反する意見を認めず、真っ向から叩き潰そうとする。そういうニンゲンが多い。もちろん叩き潰すことはできない。どちらも正しいからだ。どちらも正しくて、どちらも間違えている。
個人の価値観を押し付けるのは愚かだといえる。まあこれも私の価値観を押し付けているだけなのだが。
多様性を持たなければならない。
視野を広く持ち、沢山の考えに触れ、自分を磨き続けなければならない。
自分の意見を否定されたからといって、否定し返す必要はない。自分を否定した相手の考えすらも肯定してあげよう。
それが愛だ。
全てを愛せるニンゲンになろう。
※この記事は、ランダムにタイプライターを叩き続けた際に打ち出されたものです。
さよなら。ばいちゃ。
仲のいい象の親子 〜Today's me〜
Turn your wounds into wisdom.
無限の猿定理をご存知だろうか。
猿が無限にタイプライターをランダムに叩き続けると、いつかウィリアム・シェイクスピアの作品を打ち出す。というものだ。
私はこの定理に可能性を見出した。
今から適当にキーボードを叩き、世界中でヒットする小説を書き上げようと思う。
夢の印税生活まであと少しである。
ちなみに、このブログを書籍化したい企業があれば、コメントに書いてくれると嬉しい。これでも有名ブロガーだ。多少の売り上げは保証できる。
では、今からキーボードを叩き始める。
無限に叩くわけであるから、しばらく連絡が取れないかもしれない。
また、完成したらこのブログで報告しようと思う。
カタカタカタ……。
ではさよなら。ばいちゃ。
訓読みの訓は音読み 〜Today's me〜
真実はいつも1つ。
ここ最近、夜更かしをしている。
何食わぬ顔で3時まで起きてたりするのだ。
しかし、中学までの私であればそうはいかないだろう。
そもそも中学生時代の私は夜更かしなんてしなかった。健康的な生活をしていたし、今より活発であったからか、疲れ切った状態で布団に入っていたからだ。
それでも、たまに夜更かしをする。
23時、0時、1時と時間が過ぎていくのだが、2時が近づくにつれて、恐怖心が湧き上がっていた。いわゆる丑三つ時というものに対して、漠然とした恐怖を抱いていたのだ。
ホラー映画などを好まない私だが、読み物としてのホラーは好きで、様々な怖い話をインターネットで読み耽っていた。
しかし、どれだけ怖い話を読んでも、恐怖心を克服することはかなわなかった。
それどころか、下手に恐怖体験を身近なものにしてしまったため、以前よりも更にホラーが苦手になったのだ。元も子もないとはこういう時に使う言葉なのだろう。
月日が経ち、丑三つ時を恐れていた頃の私はいない。
依然怖い話は好きだ。しかし、あの頃ほど怖がることはなくなった。成長したのだ。
「怖い」と思うことはあれど、数分もすれば恐怖心はなくなる。
本当か嘘かを見抜く力が育まれ、創作物として捉えることが出来るようになった。
創作物かどうかなんてのは関係ない。今の私からすれば、「本当にあった怖い話」ですら創作物である。
丑三つ時を克服した今思う。
"怖いもの" というのは、減ることも増えることもしない。
成長し、心霊的なものへの恐怖が薄らいだ代わりに、人間へ恐れを抱くようになった。
本当に怖いのは今を生きる人間なのだ。
さよなら。ばいちゃ。
芯まで響くPunchのラッシュ 〜Today's me〜
すべては自分から始まる。
朝起きて早々、罪悪感に苛まれた。
いや、起きる前から嫌な予感はしていたのかもしれない。
「ああ。多分二度寝しちゃってるな」
そう感じながら惰眠を貪っていたのだから。
意識が覚醒し、まず時間を確認する。
8時51分。
出席確認を含んだHRは8時40分から10分間行われる。HR後すぐに授業が始まってしまうため、その10分間には授業の準備をする時間も含まれている。
深く考える必要もない。8時51分に起きたという事実を覆さない限り、私は遅刻したということになる。
30分遅刻するのはいいのだ。開き直ることが出来るから。
「あー、朝ごはん食べてからでいいか」
くらいの余裕はある。むしろ余裕しかない。
しかし、1分の遅刻となると話は別だ。
この世のありとあらゆるネガティブな感情に覆い尽くされ、やがて自分を見失う。それくらい罪深き行為なのだ。
何故1分なのだ。どうせなら1時間寝ていたかった。
悔しくて涙が出る。
いつまでも時間を守れないままだ。決まった時間に起きることすら出来ない。ルンバでさえ出来ることが出来ないなんて。
強いAI、弱いAIなど、人工知能技術が発展している今の世の中、いつシンギュラリティを迎えるのかわからない。
世界最高峰の頭脳を持つ人たちが、己をも脅かす危険性を孕む人工知能を開発している。
一方私は、ルンバと競っている。
いや、そもそも競えていない。勝負にすらなっていないのだ。
あまりの悲しさに、笑いがこみ上げてくる。
笑顔で涙を溢す私は、さぞかし滑稽なことだろう。
どれだけ言葉を並べようが、どれだけ感情を渦巻かせようが、遅刻した事実は覆らない。
担任に連絡しなければ。
そう考え、震える指で入力する。
「おはようございます。寝坊しました。」
いつまでも悲しさに打ちひしがれていても仕方ない。
まずは涙でぐちゃぐちゃになった顔を洗おう。
そう思い立ち洗面所に向かおうとしたところで、スマホが通知音を鳴らした。
画面を確認してみると、担任からの返事だった。
「おはよう。今日からHRは9:35からだよ」
さよなら。ばいちゃ。