鏡の鑑 〜Today's me〜

窮鼠猫を噛む。


ふと、過去の自分のツイートを振り返ってみた。

私は基本的に、面白いと思いながら発言する、といったことはない。笑いを取ろうと発言した時は大抵滑るという事に気付いてからは、誰かを笑わせようとすることを諦めたのだ。今でもたまにやっちゃうことがあるけど。


ごくたまに「ツイート面白い」と褒めてもらうことがあるのだが、「変わった人だなぁ」と思うわけである。私のツイートに面白さを見出す人が私の脳みそを覗いたりしたら、笑い死んじゃうのではないか。

所詮、面白さなんて主観にすぎないのだから、誰かの面白いは誰かのつまらないなわけである。私の何気ないツイートは、誰かを笑顔にしているのかもしれないし、誰かをイラつかせているのかもしれない。

ちなみにこのブログは万国共通の面白さを孕んでいるため、誰がどう読んでも面白い。これは絶対である。


人は衰えていく生物なのだろう。

ツイートしたときは面白くないと感じていたはずだが、今読み返してみるとなかなか面白いのだ。過去の私はセンスがある。少し羨ましい。

しかしそう考えると、いつの時代の私も面白いということになる。未来の私からすると今の私は面白いし、さらにその先の未来の私からすると、未来の私も面白い。

つまり天才だということだ。

私の才能を掘り起こしてくれる敏腕プロデューサーはいないのだろうか。


さよなら。ばいちゃ。